君の名前を忘れない

行ったトコ、食べたもの。写真置き場。か、もしくは存在証明。Yahoo!ブログから引っ越してきました

自分の幸運

珍しく久米さんを見たので、そのままテレビ見てます。
見た人しかわからない話ですが、ごめんなさい。
 
私の母は、生きていれば70歳。まさしく取り上げられている世代です。
でも、考えてみれば……小さい頃教わったのは、お菓子作りばかりでした。
 
実際的な「お惣菜」の作り方を教わったのは、母が膠原病を発症してからだったことを思い出しました。
母は私に自分の夢を託したかった。
それは休日にはピアノ弾き、お菓子作りをする少女、と言う夢。
小さい頃はそれにすごく反発してました。単なる乙女趣味の気がして。
そもそもそういう「キャラ」でもなく、弟やその友人たちを引き連れて、裏山を走り回っている方が好きな質でしたし。
 
でも今日のこの番組を見て、なんとなく……本当に、なんとなくですが、その夢が『どれだけ切実だったか』ということに思い当たりました。
そして……
私に料理を教えたことも、どれだけ切実だったかと言うことも……

多分彼女も、私に料理を教えなくてすむのなら、きっと教えたくなかったんだ。
教えるのなら、年頃の娘にふさわしいふわふわしたお菓子なんかを教えたかったのだ。でも、発病してしまったから。
「乃亜は一番お姉ちゃんだから」(女だからとは言いませんでした)「ママがいなくなったら乃亜がごはんを作ってあげてね」と。
本当は私も含めて私の兄弟に、そして出来れば私や弟たちの子(孫)にも、きっと自分で作ってあげたかったんだろう。
それを、私に教えなきゃ、と思ったとき、どんなに切なかっただろう?
「『ママの代わりに』作ってあげてね」という言葉の裏に、どれだけの切なさを隠していたんだろう。
私はその言葉の裏にある「母は間もなく逝ってしまうのだ」ということが、ただつらいばかりで、とてもその頃、そこまで気付いてあげられなかった。
 
でも、……だから私は母から料理を習うことができて、そして食を仕事にしたいと思えて。
今だって、大抵のものは自分で作れると思うのは、母が教えてくれて、母が逝った後、がむしゃらに見よう見まねの試行錯誤で料理に取り組んできたから、今の私がいて。
 
だからこそ、教えてくれて、ありがとう。
私はそれを自分の子供に伝えることは出来ないけれど、その分形を変えて、いろいろな人に伝えて行けてると思うよ。本当に、ありがとう。
 
私を置いて逝ってしまったことを、恨む(というほど積極的ではないけれど、恨めしいという感じ?)こともあったし、いろいろ負の遺産も(精神的に)あったけど、昨日の番組は、昔の私では気付かなかったことを気付かせてくれました。
この春、京都で霊視の先生に言われたことも。
「つらい思いをさせたくて、そういう環境に置いたわけではない、そのことをわかってあげて」と。
 
たまにはゆっくりテレビも見てみるものですね……