君の名前を忘れない

行ったトコ、食べたもの。写真置き場。か、もしくは存在証明。Yahoo!ブログから引っ越してきました

初めて笑った日

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2011.3.14 とっとり花回廊 Lumix G-1
 
今回の地震の件で、ネットなども少々自粛してたし、テレビを見ながら、つらつら考えていて、よく思い出すことがあった。
 
母を中一で亡くして、母の死後、初めて笑った日のことを、私ははっきりと覚えている。
 
なくなって、たしか翌日の夕方が通夜で、その翌日が葬式だった。
葬式は日曜日で、葬式は昼前に始まって、終わったら夕方。
来て下さった方はほとんど帰って、私はまだ呆然としていた。
 
母の死を受け入れるというほど時間が経っていたわけではなく、夢だと思えるほど幼くもなく。
 
昼からバタバタしていて、周りの大人は気を使ってくれて、私は他に誰もいないがらんとした居間で一人テレビをつけ……
日曜日だったので、サザエさんを選んでいた。
それが習慣だった。
目の前を、何事もなかったように、毎週のようにサザエさんのストーリーが流れていく。
 
その時、ささいな「笑い」の場面が。
私は何も考えることなく、くすくすっと笑い、そして一人でそんな自分に驚いた。
私、笑える……。
 
母が亡くなってから、(当たり前だけれど)まったく笑ってなかった自分に、そんな自分に気づいていなかった自分に、そして母が亡くなってからほんの数日だというのに、茫然自失でこれからどうなるんだろう、私はどうしていこうと、そんなことを考えて、ほかに何も考えられていなかったはずなのに、気付けば笑ってた。
 
きっと、それが私のタイミングだったのだと、今は思うけれど、当時の私は戸惑っていた。
ただ、私って意外に強いんだ、と自覚したのもその時だった。
だって私、笑えてる。
 
私が忌引きを明けて学校に行ったとき、周りは腫れ物に触るようだった。
意外に元気じゃん、と評価されていたと数年後に聞いた。
今でも母の死は私の心に色々と複雑な影を落としていて、傷跡を残しているのだけれど、でも私は笑えた。
 
今、とてもつらい人に「笑え」なんて言わない。
むしろ逆で。「いつか、私にふとその時間が訪れたように、きっといつか、必ずいつか、あなたにも笑える日が来るから」
そう伝えたい。
人は、悲しみを、喪失を、自失を、乗り越える力を持っている。
 
どうかそれを信じてください。